「Nittai Alumni」No.01

Nittai Alumni No.01

名前 園田真司

職業 NPO法人日本臨床心理カウンセリング協会理事

出身 東京都

卒業年/学部 1990年 体育学部体育学科卒業

所属部 体操部

心理カウンセラーに頼る必要のない、笑顔溢れる社会の創造を目指して 心理カウンセラーに頼る必要のない、
笑顔溢れる社会の創造を目指して

中学で出会った日体OBの体育教師にあこがれて日体大へ。日体大卒業後は金融関連会社に就職。営業職から人事部への異動になり16年。自身の経験をもとに若手社員約2万人と接して感じた思い、そして現在、心理カウンセラーとなり、ファイアーセラピストとしても活動する園田氏に話を聞いた。

日体大OBの体育の先生だけが、自分をわかってくれた 日体大OBの体育の先生だけが、自分をわかってくれた

— まず園田さんが日体大を選んだ理由を教えてください。

私は中学入学時から先生と戦っていたんですよ(笑)。もともと髪の毛が少し長くなると天然パーマのようになってしまい、さらに水泳もやっていたので、その影響でちょっと茶髪にもみえました。「パーマをかけているんだろう、染めているんだろう」と先生に頭ごなしに怒られ、親に証明書を書いてもらって提出させられたりしました。自分は悪いことはしていないのに、一方的に決めつけられることに納得いかず、「中学生らしい髪型ってなんですか?」と先生に聞いたりして。納得いかないことは絶対しない。だから髪も切らずずっと反抗していました。今から考えると 嫌な中学生だったんですね(笑)。
そんなことがあり、反抗してまともに体育の授業に出ていなかったんです。しかし中学3年の時に日体大出身の体育の先生が赴任してきて、私の人生は変わりました。いつものように体育の授業に出ずにグラウンドで遊んでいたら、「どうして授業にでないんだ」と話かけてきたのです。先生はバスケットボールの顧問でしたが、その先生といろいろなことを話しをするようになって、こんな先生もいるんだなと思ったんです。いつしか、その先生のようになりたいとあこがれて、自分も日体大に入りたいと思い始めました。

— 中学で出会った先生との出会いは人生を変えてしまうほど大きかったのですね。
高校は日体荏原高等学校(現/日本体育大学荏原高等学校)でしたが、高校でスポーツは?

荏原高校では水泳部に入りました。水泳部ではブレストの選手でした。東京都で20番くらいでした。

— 日体大に合格し、ここで目標をひとつ達成したわけですね。園田さんは日体大では体操部でしたね。

はい。実はサーフィンを始めていたので本当は学友会に入る気はなかったのですが、一緒に入学した友だちが体操部なら上下関係もあまり厳しくないからと誘われて入部することにしました。体操部はとても練習は厳しかったのですが、普段は最低限の礼儀ができていればよく、上下関係で理不尽な思いをすることはありませんでした。

— 日体大に入学してからの目標は?

体育の教師になるという目標があったのですが、実際に教育現場に目を向けてみると、時代が変わってしまったのか、残念ながら自分が思い描いた熱血教師の姿はそこにはありませんでした。また、教育現場が閉鎖的で学校以外の外の世界を知らない先生が多いことを知り、それではいけないと思い、私は3年間くらい一般社会で働いて、それでも教員になりたければそれから猛勉強して教員になろうと決めました。
就職は金融関係の会社に入社しました。営業職として実績を残していましたが、夜遅くまでの仕事の日々でしたから転職を考えるようになりました。しかし会社から引き止められ、説得されて人事課に異動になり、学生の面談を担当することになりました。

若手社員約2万人と対話。自分は彼らの力になれたか…… 若手社員約2万人と対話。自分は彼らの力になれたか……

— 学生の入社面接で大変だったことは?

内定辞退者を説得することが大変でした。しかし完全実力主義の会社で大変なことも多いですが、やりがいのある会社であることや自分のやってきた営業での経験などを話すことで会社をPRして学生の獲得につないでいきました。人事課には16年くらい在籍していましたが、トータルで2万人くらい面接したと思います。面接以外にも、毎年4月に約3週間合宿で実施する新入社員研修の責任者を任されていました。

— 学生と接していて気づいたことはありましたか?

体育会系の学生は吸収が早いですね。体育会系の学生は概ね理屈ではなく、動きながら考えることができる。そして、社会人の基本とされる挨拶は言われなくても大きい声でできる。実はこれが一番大事なポイントなのです。大きい声で挨拶できない社員はお客様にも仲間にも好かれることがなく長続きしていませんでした。そういった面で体育会系の学生は有利だと思います。
それ以外に学生に対して感じたのは、体育会系であろうとなかろうとストレスに弱いですね。子どもの時からの恵まれた環境がストレスを体験しにくくなっているように思います。今はゲーム世代で一人抜けても困らない。でも昔は一人抜けると遊びにならないからどうにか残ってもらおうとする。交渉をすると世の中なんとかなるという経験もしている。だから交渉力もついているし、コミュニケーション能力もついていたように思います。しかし今は入社してからそれを教えなくてはならないから企業側も大変です。

— その後、心理カウンセラーの道に進まれますが、そのきっかけは何だったのですか?

私が面接をして新人研修も行っていましたので、若い社員が会社を辞めたいと相談に来た時に“やってはいけない聞き方(分析したり、アドバイスしたり)”というがあるのですが、当時はそういうことを知らずに対応をしていました。たとえば、「会社辞めたいんです」と言って来たら、実績出ていないからとか、上司とうまくいっていないのではないかとか、相手の話を十分に聞かずに、こちらが勝手に答えを決めつけてアドバイスしていたように思います。若い社員を引き止められず辞めていく社員をみていて、私は力不足を感じ悩んでいました。
そんなとき厚生労働省から、企業におけるメンタルヘルスの指導が入り、そこではじめて心理カウンセラーとしての勉強を始めることになりました。実際に勉強していくと自分が間違った対処をしていたことに気づいたのです。こうしたカウンセリング的なものの見方、考え方ができるようになれば悩む前に自分で解決できるし、うつ病になることもなく精神的に健康でいられるようになるのではないかと思いました。やがて会社という枠を越えて心理的なものの見方や考え方を広く伝えたいと思うようになっていきました。

新たな道へ。一人ひとりの心に寄り添うカウンセラーに 新たな道へ。一人ひとりの心に寄り添うカウンセラーに

— そして金融会社を退職して、心理カウンセラーとしての第一歩を踏み出すことになるのですが、実際の活動は?

会社を退職してから、心理カウンセラーの資格が活かせる場を探していると、ちょうど「NPO法人日本臨床心理カウンセリング協会」が求人募集をしていたので、そこで活動することになりました。
現在は同協会の理事および統括事務局長を任されており、企業の研修と、カウンセラー資格の認定(認定臨床心理カウンセラー、認定臨床心理療法士/当協会の認定資格)の審査や事務的な仕事も行っています。
また最近では、独立行政法人国立病院機構「下総精神医療センター」で入院患者さんに対する「条件反射制御法」を開発された平井愼二先生のご指導を受け、学ばせていただきながら、週一ですが研究補助員として臨床活動をしています。

— その他にも、ファイヤーセラピストとしても活動されていますね。ファイヤーセラピーとはどういうものですか?

ファイヤーセラピーは焚き火を使ったカウンセリングです。これはキャンプ活動をすることで「自己肯定感」が育つというキャンプ療法があるのですが、そのなかでも焚き火が人に好影響を与える心理的効果に着目して、独自に構築したものです。毎年1回開催しており、今年でちょうど10回目になります。

— 具体的にどのようなことを行うのですか?

キャンプは1泊2日です。土曜日の昼に集合して、食事はキッチンスタッフがつくりますから、それを食べながら、最初に自己紹介と参加したきっかけだけ話したら「はい、解散。それからは自由気ままにどうぞ」と、とくに決められたプログラムはありません。基本的に24時間たき火を焚いて火を絶やさないようにしていますので、あとは参加者の自由時間です。自由に時間を使ってくださいと言うと最初は皆さん戸惑いますね。日常は時間に縛られているから、どう時間を使っていいのかわからないのでしょうね。夜は、焚き火を利用してのファイヤーセラピーを体験したい方は声をかけてもらえれば1対1で心理カウンセリングの体験ができます。

— どのような人が参加されますか?

どんな人が来てもいいのです。毎回20名くらいが参加されるのですが、1年目は不登校の子どもが参加しました。今日は寝なくてもいいよ、お母さんは気にしないで好きなようにやっていいよと言ったら、日帰りの予定だったのに、その子はお母さんを帰らせて一人で泊まったのです。二人でいろいろ話して、学校に行かなくてもいい、勉強がしたかったら自分一人でもできる。将来やりたいことがみつかったら、そのやりたいことを実現するために、ただで学べる学校に行けばいいという話をしたら、その子は翌日から学校へ行くようになったのです。
その子は友だちとの関係に悩んで学校に行けなかったのですが、このようなキャンプをやる側になりたい、そのためには学校に行って勉強して、キャンプを学べる、野外活動を学べる大学に行って勉強したいと言って不登校が解消されました。目標ができたから、もう友だちとの関係は悩みではないと言っていました。
そのうち、不登校の子どもだけではなく、親だけでも参加するようになりました。悩んでいるのは自分だけじゃないと気づくだけで心は楽になるのですね。やがて、独身の方やいろいろな職業の方も「心の洗濯」と言って参加されるようになりました。いろいろな人が集まって、いろいろな話をする。なかには何もしないでただ火を見つめている人もいる。それはその人が自分との対話をしていて、それもダイアログ(対話)になります。ふらふら散歩して自然との対話をしている人、そういうことすべてを含んだ意味での対話ということで「ダイアログキャンプ」として続いています。

— 日体大で学んだ経験は心理カウンセリングをするなかで役に立っていることはありますか?

それはすべてだと思います。先ほど言いました「条件反射制御法」も新しい条件反射をつくるということではスポーツも同じです。最初はできなかったことが何度も繰り返すことで何も考えなくてもできるようになる感覚・理論は自分にもよくわかるので説明しやすいです。それから学生時代に苦労して単位を取った人体解剖生理学や病理学の知識も仕事の役に立っていますね。日体大でスポーツ心理を学んだことや、現在私がやっている心理カウンセリングもスポーツに活かせるということで鹿島アントラーズのジュニアユースの仕事もしています。ゆくゆくはアスリートのメンタルとレーニングやスポーツ選手の第二の人生を考えていく時のカウンセリングもやりたいと思っています。

— 園田さんは被災地のケアにも行っているそうですね。

「プロジェクト結(ゆい)」という団体を仲間とつくり、東日本大震災の時に石巻市に現地班として月1週間ずつ2回通っていました。そこではボランティアに来る人のケアをしていました。二次被災者にならないために、事前研修と毎晩振り返りをして心のケアを行いました。現在、被災地のボランティア募集が終わりましたので、今はたまに行くぐらいになってきました。私は心理カウンセラーに頼る必要のない社会をめざしているので、被災地で私が必要なくなるのはうれしいことですね。支援をしているつもりが、石巻の方々にたくさんお世話になり、東京出身で故郷のない私にとって、石巻は故郷のような地となりました。

— 今後はどんなことに挑戦していきたいですか?

やはり日体大を卒業していますから、スポーツ選手や体育大学の学生に向けて就職や部活、学業のことで悩みを聞いてあげる「心の保健室」をやりたいです。カウンセリングでなく、その前の段階。雑談とアドバイスで悩める学生を元気にして、元気な人をより元気にさせたいですね。

問い合わせ/NPO法人日本臨床心理カウンセリング協会 http://j-acc.org/ 自然の中での対話と焚き火」ダイアログキャンプ http://www.dialoguecamp.com

問い合わせ/NPO法人日本臨床心理カウンセリング協会
http://j-acc.org/

自然の中での対話と焚き火」ダイアログキャンプ
http://www.dialoguecamp.com

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